ゆーまにわリレーブログ

ゆーまにわのメンバーが毎週交代で更新中。

第63回 無塩バターを求めるバレンタインデー

こんにちは。ゆーまにわのロゴ入りTシャツを真面目に作りたいと思っているタンクトップこと安藤です。

最近は催事出店や主催イベントなどなど、春休み前から忙しいばかりか、久しぶりになにもない日が来たと思ったら一日中だらだらしてしまうばかりです。

そのせいか気づけばもう2月…どころか2月中頃…バレンタインデーじゃん…

ゆーまにわは季節を重んじるので、今回はバレンタインンデーについて書きたいと思います。

バレンタインデーの歴史

所説はありますが、一説としてバレンタインデーはローマ帝国の時代にさかのぼります。

当時のローマでは、2月14日はローマ神話の結婚生活を守護する女神・ユーノーの祝日でした。当時若い男たちと女たちは生活が別々でしたが、祭りの前日、女たちはに名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。

翌日、男たちは桶から札を1枚ひき、その男とひかれた札の名の女は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていました。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚しました。

しかし、ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止にしました。

そこで、キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令しました。

しかし、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に彼は処刑されたとされる。彼の処刑の日は、ユーノーの祭日の前日である2月14日があえて選ばれた。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。

そしてその後、ヴァレンティヌス司祭は聖人とされ、「聖バレンタイン」として恋人の守護神として祭られるようになり、ヴァレンティヌス司祭が処刑された2月14日を「聖バレンタインデー」と呼ぶようになったといわれています。

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ヴァレンティヌス司祭



もしかしたらこの話は知っている人は多いかもしれないですね。

各国のバレンタインデー

日本では女性から男性へチョコを渡す日とされていますが、以上のバレンタインデーの歴史から、欧米諸国では「恋人たちのための日」とされているそうです。

例えばイギリスでは、男性が女性にディナーと花束をプレゼントするというロマンティックなデートをプレゼントするのが定番みたいです。

またフィンランドでは「友達の日」とされ、友人同士でもプレゼントするそうです。日本でいう友チョコみたいですね。

しかし、世界各国のバレンタイン事情をみるとかなりバラバラなのでいくつか面白いものを紹介します。

中国

中国の2月14日は「情人節(チン レン ジェ)」と呼ばれる日で、男性から女性へプレゼントを贈る恋人の日です。

実は中国では旧暦の7月7日も「情人節」。二つの「情人節」を区別するために、7月7日を「中国情人節」、2月14日を「洋情人節」と呼び分けています。

「中国情人節」は中国に古くからある祝日ですが、ヨーロッパからやってきたバレンタインデーのようにオシャレでもロマンチックでもないのであんまり盛り上がらないそうです。

 

韓国

日本同様にバレンタインデー、ホワイトデーが盛んな国です。

しかしもう1日「ブラックデー」なるものがあるらしく、「バレンタインデーもホワイトデーもはずされたボッチ達が黒い服着て黒いものを食べる日」もあるらしいです。良い文化ですね!

タイ

タイは男性から女性にバラを贈るという欧米式ですが、そこにクマのぬいぐるみを添えるのがタイ式みたいです。

ちなみに、タイでは入学式や卒業式など何かとクマのぬいぐるみを贈るそうです。

メキシコ

メキシコは男女関係なく、お互いプレゼントしあう日みたいです。

また、中学生が路上でキスをしあうほど盛り上がるとか…爆発してほしい…

サウジアラビア

イスラム教「キリスト教のバレンタインデー祝ったやつ逮捕な」

インド

過激派ヒンドゥー教「バレンタインを祝うカップルを襲撃する」

日本

チョコまみれ

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チョコまみれ日本

バレンタインデーの歴史では恋人たちの日ですが、いろいろな形がバレンタインデーがあって面白いですね。

しかし、いろんな国がいろんなプレゼントする中、なぜ日本はチョコまみれなのでしょう?

お菓子メーカーの陰謀だとかなんだとかありますが、お陰でどのスーパーでも無塩バターがありません。

そのせいで女友達の「無塩バターを買ってこい」というパシリ…じゃなく頼みごとにより、倉敷中のスーパーを巡らなくてはいけなくなってしまいました。

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そんな愚痴は良いとして、今回のリレーブログはここまでにします。

次回のリレーブログは藤本さんです。学生生活があと少しと嘆いていますが、学生最後のチョコはもらえるのですかね?報告待ってます!

以上タンクトップのブログでしたー

第62回 旧約聖書とシビックプライドの本質と立ち位置の歴史的考察

こんにちは、真庭市民の残り期限が2か月を切った橋本です。

再来月には、東京都民になってしまいます。

何も知らずに真庭へやって来たのがついこの前のようだ。
とはさすがに思いませんが、やっぱり時が経つのは早いですね。

時が経つ。

ということで今回は、個人的な趣味全開で世界史の話をします。

題材は、何となく知っているようであまり知らない「旧約聖書」。
ノアの箱舟モーゼの十戒バベルの塔
旧約聖書の中でもこれらの有名な物語については、
みなさんどこかで聞いたことがあるかもしれません。

そんな面白い物語たちはきっと調べればすぐ出てくるので、
今回はその内容自体ではなく旧約聖書が編纂された背景から掘り下げていきます。

なぜ旧約聖書は作られたのか。

紐解いていくと、まさに「歴史は繰り返す」というところが見えてきます。

ノアの箱舟の画像

ノアの箱舟の乗船シーン

旧約聖書の誕生の歴史的背景

始まりはバビロン捕囚

まずは簡単に歴史背景を押さえておきましょう。
今日から遡ること2600年あまり。
ここから物語は始まります。

紀元前6世紀ごろ、オリエントと呼ばれる現在の中東地域では世界史上初の巨大帝国アッシリアが滅亡し、各地で新勢力が台頭してきました。
エルサレムに都をおくユダヤ人国家の「ユダ王国」は、そんな覇権を争う王国の一つでした。

ユダ王国は迷っています。
南には「エジプト新王国」、北東には「新バビロニア王国」。2つの強国に挟まれていて、どちらも同時に相手にするほどの余裕はうちにはない。
さて、どっち側につこうかな。

紀元前6世紀のオリエントの地図

紀元前6世紀のオリエントの地図

熟慮の末、南のエジプト新王国側に味方することにします。
当然、新バビロニア王国は怒ります。(というか、怒ったかどうかはともかく隣国が敵方についたら何かしらの対処はしないといけませんよね。)
エジプト側につくのなら、ユダ王国は攻め滅ぼしてしまおう。
もともとそんなに強くなかったユダ王国。善戦むなしく、侵攻してきた新バビロニア王国ネブカドネザル王にあっけなく首都エルサレムを征服されてしまいます。
時は紀元前586年、ここからユダヤ人の苦難の歴史が幕を開けます。

ユダ王国は滅亡し、エルサレムにあるユダヤ教の象徴である神殿や神器などは破壊され、更にエルサレムの住民たちは新バビロニア王国の都「バビロン」まで連行されてしまいます。
これが有名な、ユダヤ人の苦難の歴史の発端とされる「バビロン捕囚」です。

有名なって言われても知らないよ。
そう思われた方、日本人ならこのバビロン捕囚の単語自体は絶対に知ってます。(たぶん。)
英語にすると"the EXILE"。
そう、あの有名アーティストグループの語源です。(グループ名に込められた意味は知りません。たぶん下積み時代に苦難の歴史があったんじゃないのかな。)

このバビロン捕囚により連行されたユダヤ人のみなさん、ついには約50年間故郷であるエルサレムに帰ることは許されませんでした。

バビロンからの解放とディアスポラ

さて、そんなこんなで時は流れて紀元前538年ごろのこと。
キュロス2世率いるアケメネス朝ペルシアが新バビロニア王国に侵攻します。そして見事に首都バビロンを攻め落としました。
これにより新バビロニア王国は滅亡して、ついにバビロンにいたユダヤ人たちが無事解放されました。

アケメネス朝ペルシア勢力図の画像

アケメネス朝ペルシアはキュロス2世の次のダレイオス1世の時代に最盛期を迎える

ここで、「よし!みんなで故郷のエルサレムに帰るんだ!」となれば、万々歳の一件落着だったかもしれませんが、世の中そうも簡単にはいきません。
おそよ50年ぶりに解放されたユダヤ人のみなさん。
やっと故郷に帰れると歓喜した人たちがいた一方で、もう別に帰らなくてもいいかな、という人たちも現れてきます。

あれおかしいぞ。ユダヤ人のみなさんは50年間遠い故郷に恋焦がれていたのではないのか。
と、思われたかもしれません。ただ実はこれ、全く不思議ではないことでした。
当時の人たちの寿命は長くて30年ほど。つまりバビロン捕囚から50年も経つとほぼ全員がバビロン生まれでバビロン育ちの純粋なバビロンっ子。そして乾燥気候のエルサレムに比べバビロンは豊かで住みやすい地域です。さらには、バビロンからエルサレムまでは治安面でも気候面でも厳しい道のりとなることは明白。
つまり、純粋なバビロンっ子にとってみれば、
「死んだ先祖から伝え聞く話ではどうやら民族の由来があるらしいけど行ったことも見たこともない生活しにくい土地に、なんでわざわざ道中の危険を冒してまでいかなきゃいけないの?」
ということ。

これがユダヤ人の「ディアスポラ(離散)」と言われる出来事です。
こうして、ユダヤ人は各地に散りぢりで暮らすようになってしまいました。

バベルの塔の画像

バビロンにあったと言われるのが、あのバベルの塔

そして旧約聖書の編纂へ

このディアスポラ旧約聖書編纂のきっかけとなります。

前述したように、バビロンからエルサレムに帰る道は動機付けも含めてとても厳しいものです。そんな厳しい道のりでも頑張って帰ろうとした人たちは、それだけ信仰心が強い人たちです。
そして彼ら彼女らは、神殿も壊されて聖地エルサレムからも離されて暮らす間に、ユダヤ人がユダヤ人たる民族意識(つまりは宗教意識)を忘れ去ってしまったのではないかと危惧し始めます。

ここでもう一度ユダヤ民族(つまりはユダヤ教)への誇りを取り戻してもらうべく作ったのが、旧約聖書になります。
旧約聖書は、アダムとイブの創世記から始まる歴史書で、基本的にはバビロン捕囚やディアスポラも含むユダヤ人の苦難の歴史を綴ったものとなっています。
こんな苦難を乗り越えてきた我らがユダヤ民族、我らが神のヤハウェ、聖なる町エルサレム。さあみんなもう一度ユダヤ民族として結束しよう。さあみんな引き裂かれたユダヤ民族の誇りを取り戻そう。

こんな気持ちだったのかもしれません。

エルサレムの墓石の画像

キーポイントとなるのは、聖地エルサレム

※ここで注意点

さて、歴史を振り返るのはここまでとなりますが、本論と関係ないとはいえ読んでくださったみなさんに対して正確を期すために数点の注意点を3つほど記載しておきます。

【1】バビロン捕囚は「捕囚」のイメージではなく、「移住」

「捕囚」と日本語で言うとまるで奴隷のように囚われていたようなイメージとなりますが、実際は「強制移住」が近いところ。イメージとしては、ダム建設で自分の村がダム湖に沈むために移住させられた村人のようなもの。元の住まいには絶対に戻ることはできないものの、移住先では割と不自由のない普通の生活を送っていたようです。

【2】ユダヤ教自体は旧約聖書が書かれる1000年近く前からある

ユダヤ教自体は紀元前14世紀ごろにはエルサレムを聖地として民族宗教として既に存在していました。いままで書き起こされてこなかった宗教を、聖典として書き起こしたのが旧約聖書。要は、信仰心を煽るために新しい歴史を作ったという解釈も可能である(もちろんこれはどの宗教の聖典にも言えることです)とも言えます。

【3】バビロン捕囚の記述が確認できる歴史書旧約聖書のみである

これまで各国で書かれてきた歴史書物たちは、たいていの場合自分たちの王朝を現実以上によく書き敵国や敵対勢力を現実以上にダメなように記述されてきました。このバビロン捕囚についての記述は、いろんな時期に各地で書かれたいくつもの資料を比べて真実を見つけ出すという作業ができない部分なので、慎重に扱わなければいけない対象ではあります。

旧約聖書シビックプライド

さて、ここからが本題です。
この旧約聖書の物語、まちづくり分野で一昔前からよく聞く「シビックプライドの醸成」という現象と非常に似ている気がしています。

このシビックプライドに関しては、横浜市東急電鉄が組んで行ったこの「シビックプライド・プロジェクト」(名前がストレートすぎる。)や、

jisedaikogai.jp

こちらの、まちづくりの核としてシビックプライドを位置づけた研究の取り組みなど、

www.ashita-lab.jp

ちょっと検索をかけるだけでたくさん出てきます。

旧約聖書にしろシビックプライドを形成するためのワークショップにしろ、「地域から人がいなくなる(いない)」という課題に対して、「地域にいてほしい」と「地域に誇りを持ってほしい」の両輪で挑んでいるところに共通点があります。

歴史は、技術や社会の成熟度がアップデートされながらも本質的には繰り返している。
歴史の本を読んでいると、らせん状のようなイメージが思い浮かんできます。

ところで、シビックプライドとはなんなのか

ことばを扱うときにどうも歴史をさかのぼりたくなってしまうのは、僕だけでしょうか。

この「シビックプライド」という言葉をさかのぼってみると、どうやら19世紀のイギリスにルーツがあるようです。
ちょうど農業革命と産業革命の影響で王族と貴族たちの力が弱まり、市民が積極的に町の中で意見を言い始めてくる風潮が出てきた時代です。
「市民権」という言葉にもあるように、"civic"という単語には単なる戸籍上の存在としての市民ではなく、「国やまちの政治に対して主体的に関わり意見を主張をしていく存在」という意味が感じられます。

つまり、もう身分の高いのお偉いさん方が自分勝手に庶民の生活を左右できる時代は終わった。これからは自分たちの生活に関わる事はきちんと主張していくぞ。
シビックプライド」とは、このような地域の構成員たちの気風と意気込みが込められた言葉だと言えるでしょう。

テニスコートの誓いの画像

市民が貴族に意見すると言えばこれ、フランス革命の「テニスコートの誓い」

旧約聖書シビックプライドも通過点に過ぎないということ

さあ、まだまだ書き足りませんが、そろそろ締めたいと思います。

結局、この文章で言いたかったこと。
それは、目的を見て作った手段がいつの間にか目的になっていることが往々にしてある、ということです。
こんなにも当たり前のことを、歴史的事実をもって証明(?)しようと思って書きました。

旧約聖書の場合

ユダヤ民族の誇りを取り戻す、ユダヤ教の精神を取り戻す、エルサレムに再び集まろう。

そんな気持ちで始まった旧約聖書の編纂と追筆。
この取り組みはいつしかユダヤ教の厳格化へといつの間にか方向転換していきます。
ユダヤ教の精神を取り戻そう。ユダヤ教は素晴らしいんだ。素晴らしい教えに厳密に従わなくてはならない。厳格な儀式こそが大切だ。
こんな感じだったのでしょうか。

そんな型にはまってしまったユダヤ教の風土から、後にイエス・キリストが飛び出していきます。
他宗教の儀礼を取り込んだりキリスト教としてのリンガフランカイエス・キリストが使っていたアラム語からギリシア語に変更をしたりと、柔軟に時代と社会に対応していったキリスト教は普遍的な世界主教となっていきました。

もちろん、世界宗教になることが最上のことというわけではありませんが、始めの頃はユダヤ教の改革を目指して訴えていたイエス・キリストユダヤ教パリサイ派により迫害されたとき、旧約聖書は500年前の編纂当初の意義はほとんど失ってしまっていたのかもしれません。

シビックプライドの場合

都会田舎問わず、まちづくりの分野でシビックプライドが唱えらる時、その本質からぶれていないかどうか、常に気にしなければいけません。

イベントやワークショップを開いてみんなの頭で考えました。
地域についてみんなで考えたことがシビックプライド醸成の一歩となりました。
打ち上げ花火のイベントが乱立して地域の為にという言葉が飛び交うまち。

かなり極端ですが、こんなところが多い気はしませんか。

本質に帰るには、時代をさかのぼりその変遷をたどることが一番確実だと、個人的には思います。
シビックプライドの本質。
それは、「自分たちの生活を自分たちが意見しながら主体的に作っていくという気風」にあると僕は思います。
そして住民の「生活」とは「日常」です。
入り口はイベントでも打ち上げ花火でもいい、むしろそっちの方がいい。
でも本質的なゴールは、イベントを完遂した達成感でもなければ打ち上げ花火の派手さでもありません。

目的地は「日常」と日常を彩るものとしての「非日常」にある。

自分自身にも度々言い聞かせなければいけないことだなと思っています。

さて、次のリレーブログは

次のリレーブログは、そろそろゆーまにわのロゴ入りタンクトップでも作りそうな勢いの安藤くんです。

ゆーまにわタンクトップのネックになるのは、作っても1人を除いて誰も着ないというところですね。

第61回 OKJ✈OKA

お久しぶりです。ひなたです。

今日は私のJKライフの一部を紹介したいと思います!

タイトルは飛行機が好きなので空港コードにしました✈️

 

さて今回は…

「N高等学校第4回沖縄プレミアムスクーリング」(。 ・`ω・´) キラン☆

 

1月21日から25日までの5日間、沖縄県うるま市伊計島へ…

この時期でも沖縄は20℃前後あり正直タンクトップでも生活できます。゚(゚^ω^゚)゚。

代表安藤くんが移住を考えるなら移住先は年中タンクトップで生活できる沖縄をオススメしたいですね

(実は半袖で岡山に帰ってきてしまって風邪引きました…)

 

さてここから肝心の内容ですが…

初日は沖縄大学で「ICTと地方創生」に関する講義ッ!

え…いきなりレベル高すぎw

ネットの高校と言うことでICTのお話を1時間聞きました!

私的にはすごく興味のある内容で最前列ど真ん中でまばたきを忘れるくらい聞き入ってしまいました

 

2日目から4日目は「THE☆Schooling」です!

朝8時30分から夕方6時30分までガッツリ、ミッチリ授業ッ!テスト!授業ッ!テスト…

もちろんお楽しみもありました♡

体育の授業でビーチに行ったり…特別活動でサトウキビ畑に行ったり…

 

天の声 「ところでひなたさん…テストの出来栄えは?」

ひなた 「ふっふふーん!出来たつもり!全教科空白はない!頑張ったつもり!」

 

はい。ノー勉強で挑んだ単位認定テストですが日々のレポートに取り組む姿勢が素晴らしい(過大評価)のか空欄は無く終えることが出来ました!

1日約10時間学校…(白目)

 

天の声 「そう言えばスクーリング中宿泊先は…?」

ひなた 「伊計島にあるリゾートホテル(実は三つ星ホテル)AJリゾート伊計島に4連泊です!」

 

N高生(スクーリング参加者大体150人くらい)全員が3人~4人部屋でお泊まりしました!

私の部屋は4人でした!

宿泊中私の部屋では毎晩「女子力UP!筋トレ&ストレッチ大会」を開催し簡単な柔軟体操とか筋トレをTVを見ておしゃべりしながらやってました॑⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝⋆*

 

楽しくてハードスケジュールなスクーリングもいよいよ最終日…

 

最終日はまったり_(ˇωˇ」∠)_

首里城国際通り→からの→解散!

首里城ではスタンプラリーに参加!スクーリングを通じて仲良くなったお友達とチームになりスタンプを10個集めました!

国際通り…実はスケジュール上毎回1時間ほどしか時間が取れずお目当てのものを買いに行くだけ!になっちゃうのです( ̄▽ ̄;)

沖縄3回目の私が激選したショップ3件をご紹介します∠(゚Д゚)/イェーイ

1件目「splash」

可愛い沖縄グッズが沢山!女子力狙うならここ!

2件目「うみちゅらら」

正直、美ら海水族館遠いんですよね…国際通りでお土産だけでも!って方におすすめ!

3件目「御菓子御殿」

3000円以上のお買い上げで貰えるオリジナルバッグが可愛いのでおすすめ!もちろん御菓子御殿さんのお菓子はどれも美味しいです!

 

素敵な沖縄に5日間も滞在でき、単位も貰えちゃう!N高最高~!!!

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

是非N高がある沖縄へお越しください!

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次回ははしもとたかひろくんですね!

不慣れな私のブログより1000倍くらい面白いと思います(謎のプレッシャーをかける奴)

 

Merci **(ू•ω•ू♡)**