ゆーまにわリレーブログ

ゆーまにわのメンバーが毎週交代で更新中。

第11回 地方と”意識高い系”~協力隊1年間を経た暫定レポート~

田舎暮らしいいですよ。じゃ、”意識高い系”は振り向いてくれない

お久しぶりです。代表の橋本です。

橋本から橋本へのバトンがつながって、リレーブログもついに2週目に突入しました。

1週目は自己紹介でしたが(もちろん自己紹介そっちのけで「ススキと茅」について語っていた彼は例外です。)、もう決まった書かなきゃいけないこともないのでここからはフリーテーマで回していきます。

今回はちょうど4月頭、年度初めということで、この場を借りて1年間地域おこし協力隊として活動させていただいたまとめレポートを書きたいと思います。

あくまで実体験に基づく僕一個人の意見で、思いっきり自分を棚に上げてます。
「東京≒都会、真庭≒地方市町村」に適宜置き換えてもらえれば幸いです。
レポートと言えどデータの裏付けは全くしていません。そのうちいつか気が向いたらそこまで手を付けるかもしれません。つけないかもしれません。
どうぞご容赦ください。

「大学生を地域へ」

この1年間、特に昨年度の8月以降からは「大学生を真庭へ」が僕の活動のテーマとなっていました。

大学進学率が全国的にも非常に上がってきている今、真庭に限らず大学が近くにない市町村は人口ピラミッドの18歳~20代前半の層が、大幅にへこんでいます。
もちろん中学や高校卒業後にそのまま地元で就職という方々も一定数いますが、それでも全体の人口構成からしたら大学生世代というのはレアな生き物です。

そんな地域に地域おこし協力隊として赴任すると、自分で言うのもなんですがめちゃくちゃかわいがられます。

「よく来てくれたねえ。」から自虐も込めた「なんでまた若いのにこんなところに。」まで、いろんな歓迎をしていただきました。
人口が着実に減少している地域でただでさえ外から来てくれる人がありがたい雰囲気があるところに、20歳(着任当時)のワカモノが来た。しかも東大生。よし悪しは別にした純粋に奇妙なものを見るような視線を感じることが多々ありました。(今でも多少ありますが。)

とにもかくにも、初めからそんな雰囲気であったことにつけこみつつ、自分が2年間というリミットの中でなるべくできることをやり切りたいという気合もあって、随分好き勝手させていただきました。

はじめは活動のテーマは「農業」でしたが、ここには特にこだわりはありませんでした。誰かと話すときに必ず「自分が何者か」というものが必要で、農学部だから農業でいいか、くらいの気持ちでした。
「大学生を地域へ」というテーマを据えたのも成り行きで、たまたま自分の強みの一つである「現役大学生であること」と、真庭市の課題である「大学生世代層の薄さ」がマッチした。ただそれだけでした。

そんなこんなで最終的にこのゆーまにわを立ち上げるまでに至りました。あれよあれよと話は進み、拠点整備に事業拡大とありがたいことに今のところ大方は順調に進んでいます。
ただ、半年その分野を中心に活動してきて今、現在進行形で自分の中で一つ納得いっていないことがあります。

 

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”意識高い系”、少なくない??

完全に偏見ですが、いつだって面白いことを仕掛ける人はちょっと変わっていて何か変なこだわりを内に秘めている、変人です。(ここではワカモノらしくそんな人たちを”意識高い系”と括ります。)

ゆーまにわは、変人ばかりです。笑
そりゃあ休学してまで見ず知らずの土地にやってくるよーしゃべる東大生の言うことに面白がってノッてくる人たちですから、結構なもの好きであることは間違いないです。

でも、誤解と批判を恐れずに言えば、この1年間で接してきた大学生のパワーと熱量は、東京にいた2年間で接してきた各種の変人たちのそれと比べると、全体的に見劣りします。

そりゃあ東大生もたくさんいたんだからその人たちと地方の学生を比べるのはフェアじゃないだろうとも言われました。でも、それは違います。
それをフェアじゃないと一蹴するなら、社会を動かす優秀と評される人たちが都会に集中する弊害に対して「地方の現状を何も分かっとらん!」と息巻くのは、就職先が大学生として過ごした土地周辺か地元(か東京)が大半な現状を踏まえれば、おかしい話になります。
第一、学力とその人の持つ熱量は関係ない。それが何であれ何かにのめり込む熱量は、勉強ができるかだけでは測れません。関係が全くないと言い切ることもできないことは認めますが、相関が強いかは別問題です。

留意しておきたいのは、決して地方市町村の方が東京よりも熱量を解き放つのに適していると言いたいわけではありません。むしろ、東京の荒波の方が鍛えられるものもたくさんあります。ただ現状として、あまりにも過剰に彼ら彼女らの挑戦の場所が東京に偏在している。そう思うのです。

もっともっと、何か強い志や熱量を持った”意識高い系”の変人たちが、東京で一流企業と協働し切磋琢磨するのと同じように、地方市町村で自分の熱量を解き放ち挑戦する状況になれば日本が面白くなる

真庭でのこの1年間を経て、本気でそう感じています。

地方市町村を「”意識高い系”ワカモノの挑戦の場へ」

東京と同じくらい地方市町村も意識高い系のワカモノの熱量を解き放つ挑戦の場として生かすべきである。

ではなぜそう言い切れるのか、その一端を2つの視点から論じてみたいと思います。

大幅プラスからのスタート

まずはこの文章の冒頭でも触れたこと。

「ワカモノというだけでとにかくかわいがられる」。

これはものすごいことです。

例えばワカモノが、東京の竹下通りやらを歩いている時と、真庭の商店街を歩いている時。
ワカモノ側からすれば同じ商店街通りを歩くという行為をしている。
でも、その彼ら彼女らの「価値」は場所を変えるだけで大きく異なってきます。

キーワードは「希少性(rarity)」。

物事の価値は、たいていの場合この希少性でほぼ決まります。
単純な話、時給800円のバイトをできる人はたくさんいても、時給換算で3万円とるコンサル業をできる人は人口からすればかなり少ないです。
だから、その希少性の差が「価値」を生み出しそれを貨幣が媒介し表現している。

同じことが前述の竹下通りと真庭の商店街でも言えます。
竹下通りを歩いているワカモノはたくさんの中の一人でいくらでも替えがきく存在ですが、真庭の商店街を歩いている時は同じワカモノでもその希少性が桁違いに上がります。
その価値が如実に表れるのが、僕ら大学生が真庭で集まっているときによく言われる言葉「来てくれてうれしいよ。」「よく来てくれたねえ。」の歓迎の言葉の嵐。

 

「そう、だから田舎は牧歌的でいいところでしょう。」

 

そんなことがいいたのではありません。
それだったら「地方で若いうちからぬるま湯につかっていると、バリバリ東京で勝負しているやつらに一生追いつけなくなるよ。」と言われてしまいます。

そんな(意識高い系にとって)甘い話をしたいのではなく、ここで言いたかったのはこれは大きなチャンスだということです。

世の中何においても一つの「価値」でさえ確立するのは非常に大変なことで、逆にそれさえできれば勝算が見えてくるということになります。

でも地方市町村なら、「ワカモノ」というだけで何もしなくても大きな一つの価値を自然発生的に確立することができる。
何の苦労もなく一つの価値が手に入れられて、そこに自分の志に関連した価値を付加できれば、もう2つの武器を持っているようなものです。

僕も真庭に来てはじめのころは、現役大学生というだけでちやほやされるのに何か悔しさに似たものも感じていましたが、考えてみればこれも自分で動いたことで手に入った一つの大きな「価値」で、こんな棚ぼたを生かさない手はないという思いになり、それが後のゆーまにわの発想にも繋がりました。

ワカモノだという価値だけでやっていては短い命ですが、その価値を生かしてそこに別の価値をどんどん付けていく。そして将来的には「ワカモノ」という価値がなくなってもやっていける芯のある「価値」を手に入れる。そんな野心が、浮かんでくるのではないでしょうか。

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OODAループ×ワカモノ×地方市町村

さてもう一つ、最近流行りの「OODAループ」というキーワードからもこの点を考察したいと思います。

とりあえず、OODAループ自体の詳しい説明はわかりやすく説明してくれているサイトがいくつもあるのでそこに任せるとします。
(僕がざっと見て一番見やすかったサイトのリンクを貼りました。)

www.jscore.co.jp

このOODAループの話を最初に聞いたとき個人的に一番引っ掛かったのが、「OODAループの実行には、『状況判断力』が重要になってくる」という趣旨の文言でした。
PDCAとは異なり臨機応変な判断力や直観力を求められるとのことで、これは場数を積んで身に付けていくことができるものだと。

これはまさに僕の「なんで休学してまで...」の答えにぴったりでした。(はい、当初はなんとなく、程度で休学に大した理由がありませんでした。完全な後付けです。)
将来的に自分のやりたいことはどちらかというと国際的系のことでもあって、数年前に関わって以来の方には「なんで地方に行ったの?」と驚かれたこともありましたが、たしかに直接的な将来像と休学しての協力隊着任との関連はうまく説明できませんでした。

ただ、一つこの説明を見て今までうまく言えなかった漠然とした何かの、靄が晴れました。

僕が休学してまで協力隊になった理由。それは、目の前に次々飛び出してくる課題に自分ごととして対処法を考え実践するということをマルチタスクで行う訓練、これが一番適度な規模感でできる場所であると思ったから。

地方市町村はわかりやすい課題の山積み。課題が多いこと自体は都会だろうと地方だろうと関係ありませんが、一番の違いは、課題を訴える人が顔が見える距離にほとんどいるということ。そして、顔が見えるからこそ、自分事に収まる範囲で対処してみようとしていても全体像が把握できるということ。

いわば、居住空間とコミュニティの密接な関係と個人事業主の割合が高いという環境がもたらす、個人間での信頼関係とコミュニティの信頼関係の互換性と相関性の高さ

「こうした方がいい」と言った時に即時に「じゃあやってみれば」と言って下さるスピード感があり、尚且つやってみようとしたときにこの役割は誰に頼めばいいかが顔が見える範囲に収まってしまうこと。これは、自分ごととして課題に対処し実践していくときにはとても都合のいいことです。

例えばゆーまにわキャンパスの掃除と改修。

そういえば拠点作りたいって言ってたけど使っていい空き家一つ持ってるよ。ドアの位置をずらしたいなら○○さん、水道なら△△さんがいるよね。ガスはこっちで◇◇さんに頼んでおこうか。
こんな個人名が飛び交う会話ですべて済んでしまいました。
これが東京ならネットで調べて業者さんに頼んでというのがどこかしらで必要になります。何もこれが悪いということではないですが、「自分ごととしての志への挑戦と実戦経験」という観点からすれば、顔が見える個人間で融通を聞かせられる便宜を図ってくれるやりやすさは、共通の知り合いもいない初対面でもの頼むことの比になりません。

つまり、状況判断力と実行力を養うという観点からみると、次々と出てくる課題に自分の責任部分を自分の裁量で重くできる、要は成功も失敗も自分の血肉とすることができる挑戦環境は、居住環境とコミュニティがほぼ重なっている地方市町村の方が整っており、実力試しの実践には分野によっては地方市町村の方が適している場合も少なからずあるのです。

”意識高い系”の新モデルとは

さて、ここまで意識高い系が挑戦の舞台として地方市町村を選ぶ選択肢もあるべきだという話をしてきました。これはあくまで僕個人の経験から思ったことで、正解かどうかは数10年後にならないと分からないことです。ただ、ゴキブリを1匹見たら30匹入ると思えよろしく、僕がそう感じるってことは他にもそう感じている人はたくさんいるはずだ。ということで、このレポートの締めとして、新しい「地方型意識高い系大学生」のモデルそのものについて考えてみたいと思います。

”意識高い系”の新モデル

さて、ここまで述べてきたことを整理すると...

>何かの分野で志をもって活動するいわゆる意識高い系のワカモノは、現状都市部に集中している。
>ただし橋本の完全な経験則より、意識高い系ワカモノにはその志の分野によっては地方市町村の方が挑戦しがいがあるパターンもある。
>なぜなら、、、
 ○ワカモノというだけで大幅なプラスからのスタートができる。

 ○「自分ごととして進める際の」状況判断力と瞬発力を鍛えられる環境がある。

ここから見出される大切なことが、
意識高い系にとって地方市町村はあくまで「ワカモノ」である間の挑戦の場で、一つの実践の場に過ぎないということです。
比較と批評の精神を持つ意味からも実践の場はいくつもあることが理想だし、そこにはもしからしたらワカモノに定住を求める行政の意識との大きな溝があるかもしれないと言えます。

一つの場所で成功したらそこを土台に次の挑戦に行きたくなる。いわば風の人。
その向上心こそが意識高い系であるということそのものとも言えるので当然のことではあるのですが。

僕も協力隊として真庭に来た時から少なくとも一旦は復学という形でいなくなることが決まっていました。
それに対して、そんなの協力隊の趣旨からしておかしい。そんな人に来てもらっても一時のごまかしに過ぎない。また近しい人がいなくなってしまう経験を住民の方にさせるのか。
そんな意見もきっとあるのだと思います。

ただ一つ、1年間でたくさんのつながりができた今だから言えることが一つあります。
情とか人のつながりとかそんな感動物語ではなく、事実として、せっかく1年費やして出来上がったこんなに濃い人脈を全部放り出して次の挑戦に行くだなんて非効率的なことはしたくないと考えるのが、普通の感覚です。
ましてやそこに思い出が積み重なった時、そこがその人にとって一生何らかの形で関わっていく需要な土地になることは明白です。

少し話がそれてしまいましたが、そうやって強い志を持ったワカモノが地方にもフラットな視線で目を向けること、そしてそんなワカモノの志に対して一度は出て行ってしまう人だとしてもうちの地域を挑戦の場として頑張ってくれと言える地域住民の方々、そのどちらもがそろってはじめてこの仮説が現実的なものとなります。

そしてその先には、表面的なごまかしではない東京一極集への根本的な解決策の一端が、もしかしたらあるかもしれません。

最後に、残り1年で自分がやるべきこと

さて、長々と僕の妄想物語を語ってきてしまいましたが、そろそろ終わりにします。

いろいろと理想論を語っていても、同時にまずは目先のことを一つ一つ成し遂げていくこと。

その一つとして目下一大プロジェクトとしては、どうやってゆーまにわを存続させていくか、どうやったら数年後もパワーアップしていける形になるか。

ベンチャーにしろ学生団体にしろ、設立して3~5年くらいで潰れるのがほとんどという話をどこかで聞いたことがあります。これに対して、何のために続けるのかが肝であって、ただ続けることそれ自体には意味がないという意見もあります。でも僕は少なくともゆーまにわに関しては、ただ続けることそれ自体に意味があると思っています。この場所は何としても残していきたいと思います。

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さあ、やっと終わりです。

続けることが大切なリレーブログ。

次回は最近ほぼキャンパスの住民となっている安藤君です。
ご存知の方も多いと思いますが、一つ言えることとしては彼も変人には間違いないということです。

来週に乞うご期待。