第161回 眠れぬ疑問
あけおめことよろでございます。ふくくんです🖋
もうリレーブログの担当が回ってきたのかぁ時間たつの早いなぁ味ぽんやい。
前回は誕生日だったって投稿でしたね。今思えば寒い記事ですね。
ああ、そういえば
自分の自己紹介の記事が2019年のアクセスランキング一位だったとか。
やったね「一成」名前回収だね。一番に成れたね。
よかったよかったと思うけども、なんで一番なんだろうっていまだに疑問です。
自己紹介っぽくない自己紹介なんでまた見てみてください。
さてと、、、。
眠れぬ疑問
今年の抱負、個人のFacebookに投稿させていただきました。
「反省しないようにする」
え、反省って大事じゃんって思うかもしれませんが、僕は、反省し始めると止まらなくなり、気づけば朝だったってことが良くあります。
「ああ、こーすりゃもっと喜んでもらえた」「こーすりゃもっと早く終われた」
僕の反省には必ず第三者が関係していて、自分が改善しないとって深く考えこんじゃうんですよね。いいことなんでしょうけどね。うん。
最近になって、この抱負守らないとね。と、細かいことをなるべく気にしないようにしていました。しかし、収まることもなく、反省する日々。
そんな中、反省するうちにある2つの疑問が生じてきました。
ある漫画※の影響からこの疑問が出てきたのですが、、、。
感情の二つの収着点
人間の感情の中で「一番強い感情」は何でしょうか?
と聞かれたらあなたは何と思いますか?
「愛してる」?「憎い」?「ムカつく」?「悲しい」?「幸せ」?
いえ、
「めんどくさい」この感情が一番強いのではないでしょうか
皆さんも、「宿題めんどくさい」といって夏休みの宿題を後回しにしてしまい、
あとでひーひー言いながらやった経験があると思います。
これは「めんどくさい」からやりたくない、また明日。と、
「めんどくさい」という感情は毎日ある場面で出てくると思います。
なんて、考えると「めんどくさい」って色々当てはまってきます。
・戦争をして、相手の国から資源を奪う
→自分で資源をつくるのが「めんどくさい」から
・窃盗をしてしまうのは
→自分でお金を稼ぐことが「めんどくさい」から
・勉強するのは
→後々、貧しくなったら「めんどくさい」から
・便利アプリが流行るのは
→「めんどくさい」ことをやってくれるから
人間の行動のほとんどの裏には「めんどくさい」という感情が気づかないうちに込められているのだろう。
しかし、この「めんどくさい」には【人間には寿命がある】【人生には有限時間がある】ということをふまえられていないことを考えると、、、
人生が「もったいない」という感情が一番強いのではとも捉えることができる
・戦争をして、相手の国から資源を奪う
→「限られた時間の中で」自分が豊かになるため
・窃盗をしてしまうのは
→人生からお金を稼ぐ「時間をカット」するため
・勉強するのは
→「一度きりの人生」をマシにするため
・便利アプリが流行るのは
→人生から「無駄な時間を省きたい」から
どっちなんでしょうね。いや、ほかに答えはあるのでしょう。
考えるたびに寝れなくなるこの疑問。
この考える時間は「もったない」んでしょうかねぇ
こんなことを考えていると、自分がやってることはみんなにとって「めんどくさい」んでしょうか、自分にとって時間が「もったいない」のかなんてまで考え抜いてしまう。
んなことを考えてると、ある発言を思い出す。
「福本君は優しいね」
、、、やさしさ、、、?こんなこと考える自分がそんなこと言われてたって、、、。
あれ?やさしさってなんだったっけ、、、?
やさしさ
かずは優しすぎるから彼女ができないんだよ
と母や、中高時代の友人は言ってた。「そんなことないよ」と返していたんですが、
今、考え直すと「やさしい」って何だろうかと 。
700円の財布が道端に落ちていた。とする
・拾って交番に届ける
・拾ってお金を抜き取る
・拾わずそのまま放置しておく
みなさんなら、どうしますか?
「やさしい」皆さんなら ・拾って交番に届ける ですよね?
はたして、交番に届ける行為は「やさしい」行動なのでしょうか。
・拾って交番に届ける という行動に至るのは
・拾わずそのまま放置しておく としたとき、夜気になりまくって寝れなくなるのを回避するためだとしたら それは「やさしさ」なんでしょうか?
良い睡眠がとれるという自分とための行動を「やさしさ」といえるのでしょうか。
なんて考えていると、自分の行動を振り返る。
「みきてぃやちほちゃんの送り迎え」は善意でやっていたのか自己満足でやっていたのか、「ゆーまにわで人のお仕事を手伝う」ことは、頑張っているから手伝って時間を作ってあげるよという善意でやっているのかそれとも仕事をたくさんすることで快眠を得ろうとしている自己満足なのか。
善意ならば相手に対して「やさしい」を言える
おそらく、僕が行動するときは前者の善意で動いている。
ただただみきてぃやちほちゃんを少しでも楽にしてあげるため、少しでもゆーまにわのためになればと動いている。
しかし、考え直すふくくん。
みんなが喜ぶ姿をみて自分なりに満足しようと体が勝手に動いてしまっているのではと。
そう考えると自分はゴミ人間じゃん、真っ黒じゃん。
いやだ、いやだ。と寝れなくなる。
いやだと思う時点で、少しはそんなことを思ってしまっているのかもしれない。
やさしさって、、、なんなんだろうか。
これに関して考え抜いちゃうと毎晩寝れなくなります。
だから、ある一つの答えを出しています。それは
『「優しい」と思われる行動は、全員平等に行おう」
例え、家族でも、親友でも、好きな人でも、まったく見知らぬ人でも、嫌いな人でも、
全員「優しい」と思われる行動は同じにしようと心掛けてます。
すると、なにもかも「優しい」というそのものが平らとなり、上下つく「優しさ」がなくなり、後々寝る前の反省が減ります。
しかし、最近、親しい人に対する「やさしさ」と全く普通の人に対する「やさしさ」に少しの優劣を出し、ある程度の特別感を出さないと親しい人にとっての「やさしさ」にたどり着けないのだろうか。と考えてしまう。親と友達ぐらい違わないと、親が「なんで~」とか言い出すのではないのだろうか。
はぁ。考え出すときりがない。
この、「平等なやさしさ」を位置づけようとしている時点で、僕は「やさしい」人ではないんでしょうね。
でも、後付けですので、日ごろの行動に裏はありませんからね!
って言っても今更感がしますが(笑)
幸せ
ふくくん病んでるの?と思う文章ですが、病んではないです。
どちらかといえば最近はでーれー幸せな日々を過ごしています。
しかし、なんでこんなことを考えてしまうのかというと、
日々「こんなに楽しくていいのだろうか」とか考えちゃってしまうからなんでしょうね。
『幸と不幸は必ず平等に収束する』
と僕は考えちゃうんですよ。
岡大に合格した時、「次の日死ぬかも気をつけよ」とか考えてましたし(笑)
毎日のように、いい日だったなという日こそ、反省して「調整」しちゃってます。
やはり、「やさしさ」のかけらもございませんね。
でも、はっきり言えるのは
「大学生活はめちゃくちゃ楽しい」ということ。
最後に
皆さんはこの文章を読んで、
ふくくんのことを「めんどくさい」と思いましたか?
読む時間が「もったいない」と思いましたか?
え、、、?どちらも思わなかった。読んでて楽しかった?
ほんとに?
それって「やさしさ」、、、、???
ちょっと揶揄う文章を書きたかったんです。寝れないだけで、病んではないですよ(笑)
※参考文献
「外れたみんなの頭のネジ」洋介犬
第205話 ゼン問答 第180話 ヤサシサッテナンダ?
次回予告
次回はにったさんです。
年越し楽しかったですね。
こんな暗い文章じゃなくてにったさんの明るい記事読みたいですね。
それでは、また!