第62回 旧約聖書とシビックプライドの本質と立ち位置の歴史的考察
こんにちは、真庭市民の残り期限が2か月を切った橋本です。
再来月には、東京都民になってしまいます。
何も知らずに真庭へやって来たのがついこの前のようだ。
とはさすがに思いませんが、やっぱり時が経つのは早いですね。
時が経つ。
ということで今回は、個人的な趣味全開で世界史の話をします。
題材は、何となく知っているようであまり知らない「旧約聖書」。
ノアの箱舟やモーゼの十戒、バベルの塔。
旧約聖書の中でもこれらの有名な物語については、
みなさんどこかで聞いたことがあるかもしれません。
そんな面白い物語たちはきっと調べればすぐ出てくるので、
今回はその内容自体ではなく旧約聖書が編纂された背景から掘り下げていきます。
なぜ旧約聖書は作られたのか。
紐解いていくと、まさに「歴史は繰り返す」というところが見えてきます。
旧約聖書の誕生の歴史的背景
始まりはバビロン捕囚
まずは簡単に歴史背景を押さえておきましょう。
今日から遡ること2600年あまり。
ここから物語は始まります。
紀元前6世紀ごろ、オリエントと呼ばれる現在の中東地域では世界史上初の巨大帝国アッシリアが滅亡し、各地で新勢力が台頭してきました。
エルサレムに都をおくユダヤ人国家の「ユダ王国」は、そんな覇権を争う王国の一つでした。
ユダ王国は迷っています。
南には「エジプト新王国」、北東には「新バビロニア王国」。2つの強国に挟まれていて、どちらも同時に相手にするほどの余裕はうちにはない。
さて、どっち側につこうかな。
熟慮の末、南のエジプト新王国側に味方することにします。
当然、新バビロニア王国は怒ります。(というか、怒ったかどうかはともかく隣国が敵方についたら何かしらの対処はしないといけませんよね。)
エジプト側につくのなら、ユダ王国は攻め滅ぼしてしまおう。
もともとそんなに強くなかったユダ王国。善戦むなしく、侵攻してきた新バビロニア王国のネブカドネザル王にあっけなく首都エルサレムを征服されてしまいます。
時は紀元前586年、ここからユダヤ人の苦難の歴史が幕を開けます。
ユダ王国は滅亡し、エルサレムにあるユダヤ教の象徴である神殿や神器などは破壊され、更にエルサレムの住民たちは新バビロニア王国の都「バビロン」まで連行されてしまいます。
これが有名な、ユダヤ人の苦難の歴史の発端とされる「バビロン捕囚」です。
有名なって言われても知らないよ。
そう思われた方、日本人ならこのバビロン捕囚の単語自体は絶対に知ってます。(たぶん。)
英語にすると"the EXILE"。
そう、あの有名アーティストグループの語源です。(グループ名に込められた意味は知りません。たぶん下積み時代に苦難の歴史があったんじゃないのかな。)
このバビロン捕囚により連行されたユダヤ人のみなさん、ついには約50年間故郷であるエルサレムに帰ることは許されませんでした。
バビロンからの解放とディアスポラ
さて、そんなこんなで時は流れて紀元前538年ごろのこと。
キュロス2世率いるアケメネス朝ペルシアが新バビロニア王国に侵攻します。そして見事に首都バビロンを攻め落としました。
これにより新バビロニア王国は滅亡して、ついにバビロンにいたユダヤ人たちが無事解放されました。
ここで、「よし!みんなで故郷のエルサレムに帰るんだ!」となれば、万々歳の一件落着だったかもしれませんが、世の中そうも簡単にはいきません。
おそよ50年ぶりに解放されたユダヤ人のみなさん。
やっと故郷に帰れると歓喜した人たちがいた一方で、もう別に帰らなくてもいいかな、という人たちも現れてきます。
あれおかしいぞ。ユダヤ人のみなさんは50年間遠い故郷に恋焦がれていたのではないのか。
と、思われたかもしれません。ただ実はこれ、全く不思議ではないことでした。
当時の人たちの寿命は長くて30年ほど。つまりバビロン捕囚から50年も経つとほぼ全員がバビロン生まれでバビロン育ちの純粋なバビロンっ子。そして乾燥気候のエルサレムに比べバビロンは豊かで住みやすい地域です。さらには、バビロンからエルサレムまでは治安面でも気候面でも厳しい道のりとなることは明白。
つまり、純粋なバビロンっ子にとってみれば、
「死んだ先祖から伝え聞く話ではどうやら民族の由来があるらしいけど行ったことも見たこともない生活しにくい土地に、なんでわざわざ道中の危険を冒してまでいかなきゃいけないの?」
ということ。
これがユダヤ人の「ディアスポラ(離散)」と言われる出来事です。
こうして、ユダヤ人は各地に散りぢりで暮らすようになってしまいました。
そして旧約聖書の編纂へ
前述したように、バビロンからエルサレムに帰る道は動機付けも含めてとても厳しいものです。そんな厳しい道のりでも頑張って帰ろうとした人たちは、それだけ信仰心が強い人たちです。
そして彼ら彼女らは、神殿も壊されて聖地エルサレムからも離されて暮らす間に、ユダヤ人がユダヤ人たる民族意識(つまりは宗教意識)を忘れ去ってしまったのではないかと危惧し始めます。
ここでもう一度ユダヤ民族(つまりはユダヤ教)への誇りを取り戻してもらうべく作ったのが、旧約聖書になります。
旧約聖書は、アダムとイブの創世記から始まる歴史書で、基本的にはバビロン捕囚やディアスポラも含むユダヤ人の苦難の歴史を綴ったものとなっています。
こんな苦難を乗り越えてきた我らがユダヤ民族、我らが神のヤハウェ、聖なる町エルサレム。さあみんなもう一度ユダヤ民族として結束しよう。さあみんな引き裂かれたユダヤ民族の誇りを取り戻そう。
こんな気持ちだったのかもしれません。
※ここで注意点
さて、歴史を振り返るのはここまでとなりますが、本論と関係ないとはいえ読んでくださったみなさんに対して正確を期すために数点の注意点を3つほど記載しておきます。
【1】バビロン捕囚は「捕囚」のイメージではなく、「移住」
「捕囚」と日本語で言うとまるで奴隷のように囚われていたようなイメージとなりますが、実際は「強制移住」が近いところ。イメージとしては、ダム建設で自分の村がダム湖に沈むために移住させられた村人のようなもの。元の住まいには絶対に戻ることはできないものの、移住先では割と不自由のない普通の生活を送っていたようです。
【2】ユダヤ教自体は旧約聖書が書かれる1000年近く前からある
ユダヤ教自体は紀元前14世紀ごろにはエルサレムを聖地として民族宗教として既に存在していました。いままで書き起こされてこなかった宗教を、聖典として書き起こしたのが旧約聖書。要は、信仰心を煽るために新しい歴史を作ったという解釈も可能である(もちろんこれはどの宗教の聖典にも言えることです)とも言えます。
【3】バビロン捕囚の記述が確認できる歴史書は旧約聖書のみである
これまで各国で書かれてきた歴史書物たちは、たいていの場合自分たちの王朝を現実以上によく書き敵国や敵対勢力を現実以上にダメなように記述されてきました。このバビロン捕囚についての記述は、いろんな時期に各地で書かれたいくつもの資料を比べて真実を見つけ出すという作業ができない部分なので、慎重に扱わなければいけない対象ではあります。
旧約聖書とシビックプライド
さて、ここからが本題です。
この旧約聖書の物語、まちづくり分野で一昔前からよく聞く「シビックプライドの醸成」という現象と非常に似ている気がしています。
このシビックプライドに関しては、横浜市と東急電鉄が組んで行ったこの「シビックプライド・プロジェクト」(名前がストレートすぎる。)や、
こちらの、まちづくりの核としてシビックプライドを位置づけた研究の取り組みなど、
ちょっと検索をかけるだけでたくさん出てきます。
旧約聖書にしろシビックプライドを形成するためのワークショップにしろ、「地域から人がいなくなる(いない)」という課題に対して、「地域にいてほしい」と「地域に誇りを持ってほしい」の両輪で挑んでいるところに共通点があります。
歴史は、技術や社会の成熟度がアップデートされながらも本質的には繰り返している。
歴史の本を読んでいると、らせん状のようなイメージが思い浮かんできます。
ところで、シビックプライドとはなんなのか
ことばを扱うときにどうも歴史をさかのぼりたくなってしまうのは、僕だけでしょうか。
この「シビックプライド」という言葉をさかのぼってみると、どうやら19世紀のイギリスにルーツがあるようです。
ちょうど農業革命と産業革命の影響で王族と貴族たちの力が弱まり、市民が積極的に町の中で意見を言い始めてくる風潮が出てきた時代です。
「市民権」という言葉にもあるように、"civic"という単語には単なる戸籍上の存在としての市民ではなく、「国やまちの政治に対して主体的に関わり意見を主張をしていく存在」という意味が感じられます。
つまり、もう身分の高いのお偉いさん方が自分勝手に庶民の生活を左右できる時代は終わった。これからは自分たちの生活に関わる事はきちんと主張していくぞ。
「シビックプライド」とは、このような地域の構成員たちの気風と意気込みが込められた言葉だと言えるでしょう。
旧約聖書とシビックプライドも通過点に過ぎないということ
さあ、まだまだ書き足りませんが、そろそろ締めたいと思います。
結局、この文章で言いたかったこと。
それは、目的を見て作った手段がいつの間にか目的になっていることが往々にしてある、ということです。
こんなにも当たり前のことを、歴史的事実をもって証明(?)しようと思って書きました。
旧約聖書の場合
ユダヤ民族の誇りを取り戻す、ユダヤ教の精神を取り戻す、エルサレムに再び集まろう。
そんな気持ちで始まった旧約聖書の編纂と追筆。
この取り組みはいつしかユダヤ教の厳格化へといつの間にか方向転換していきます。
ユダヤ教の精神を取り戻そう。ユダヤ教は素晴らしいんだ。素晴らしい教えに厳密に従わなくてはならない。厳格な儀式こそが大切だ。
こんな感じだったのでしょうか。
そんな型にはまってしまったユダヤ教の風土から、後にイエス・キリストが飛び出していきます。
他宗教の儀礼を取り込んだりキリスト教としてのリンガフランカをイエス・キリストが使っていたアラム語からギリシア語に変更をしたりと、柔軟に時代と社会に対応していったキリスト教は普遍的な世界主教となっていきました。
もちろん、世界宗教になることが最上のことというわけではありませんが、始めの頃はユダヤ教の改革を目指して訴えていたイエス・キリストがユダヤ教のパリサイ派により迫害されたとき、旧約聖書は500年前の編纂当初の意義はほとんど失ってしまっていたのかもしれません。
シビックプライドの場合
都会田舎問わず、まちづくりの分野でシビックプライドが唱えらる時、その本質からぶれていないかどうか、常に気にしなければいけません。
イベントやワークショップを開いてみんなの頭で考えました。
地域についてみんなで考えたことがシビックプライド醸成の一歩となりました。
打ち上げ花火のイベントが乱立して地域の為にという言葉が飛び交うまち。
かなり極端ですが、こんなところが多い気はしませんか。
本質に帰るには、時代をさかのぼりその変遷をたどることが一番確実だと、個人的には思います。
シビックプライドの本質。
それは、「自分たちの生活を自分たちが意見しながら主体的に作っていくという気風」にあると僕は思います。
そして住民の「生活」とは「日常」です。
入り口はイベントでも打ち上げ花火でもいい、むしろそっちの方がいい。
でも本質的なゴールは、イベントを完遂した達成感でもなければ打ち上げ花火の派手さでもありません。
目的地は「日常」と日常を彩るものとしての「非日常」にある。
自分自身にも度々言い聞かせなければいけないことだなと思っています。
さて、次のリレーブログは
次のリレーブログは、そろそろゆーまにわのロゴ入りタンクトップでも作りそうな勢いの安藤くんです。
ゆーまにわタンクトップのネックになるのは、作っても1人を除いて誰も着ないというところですね。